夫との別居後、子どもと2人きりで過ごす毎日。
そんな中、久しぶりに私の両親が車で会いに来てくれました。
実家とは遠く離れていた過去。
そして、今だからこそ感じられる“家族のありがたさ”。
適応障害と向き合う子どもを連れて、
親子3代でお寿司を食べに行った、小さな外出の記録です。
実家に帰れなかった日々と、夫の冷たい言葉
これまでは年に1度帰省できればいいほうでした。
とくにコロナ禍の時期は、母が入院しても帰ることができず、心配だけが募っていました。
何よりも辛かったのは、転勤先が実家からあまりにも遠かったこと。
飛行機を乗り継がなければならない距離で、気軽に帰省なんて夢のまた夢でした。
ある時、私は夫に「子どもと2人で帰省したい」と伝えました。
でも、返ってきたのは冷たい一言。
「飛行機代2人分は出せない。2人で行くのは無理。」
夫は、自分は親に何かあれば陸路でさっと帰り、ついでに浮気相手に会ったりもしていました。
“子どもと一緒に帰る意味”なんて、彼には理解できなかったのだと思います。
別居後、実家がぐっと近くなった!
現在、私は夫と別居中。
今住んでいる場所は、私の実家まで陸路で行ける距離になりました。
それだけで、何だか心がふっと軽くなったような気がします。
とはいえ、実家は過疎地にあり、車がないとアクセスが難しいのが現状です。
私は現在無職で車も持っていないため、自分から実家に行くのはまだ難しい状況。
でも両親が車で来てくれることになりました!
久しぶりの親子3代ランチへ
私と子ども、そして両親の4人でお寿司ランチに行ってきました。
子どもが「お寿司が食べたい」とずっと我慢していたので、お願いして連れて行ってもらうことにしました。
近くに個人店はあっても、全国チェーンの回転寿司はなかなかない地域。
久しぶりのお寿司に、子どもも朝からかなりうれしそうにしていました。
「親から見たら、いくつになっても子どもなんだね」
両親も、孫の顔を見るのをとても楽しみにしてくれていました。
私はもうアラフィフ。けれど、親にとっては『いくつになっても「子ども」』なんですね。
この年になっても、何かと気にかけてくれる親に、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。
のんびりと、でも前向きに。私と子どものこれから
夫の不倫、風俗通い、経済的DV――。
それが原因で、私と子どもは避難するようにして今の場所にたどり着きました。
子どもは今、不登校で適応障害と診断されています。
昭和初期生まれの両親には理解が難しい部分もありますが、私は焦らず、子どものペースで向き合っていきたいと思っています。
先生や周囲の人たちが
「学校がすべてじゃないよ」
と声をかけてくれるたびに、私は少しずつ救われています。
仮住まいから、本当の暮らしへ
今住んでいる場所は仮の住まいです。
けれど、少しずつでも前を向いて、安心できる暮らしを取り戻していきたい。
仕事について、経済的にも自立して、子どもが安心して過ごせる場所で暮らせるように。
その第一歩として、両親と穏やかな時間を過ごせることがなによりと感じました。
母の変化に、言葉にならないショックを受けて
久しぶりに会った母には、以前よりも認知症の症状が進んでいるように感じました。
同じ話を何度も繰り返したり、数分前の出来事をすぐに忘れてしまったり……
そんな姿を目の当たりにして、覚悟はしていたつもりでも、やはりショックでした。
お店に入るとき、私がドアを開けてあげた時のこと。
母は振り返って私に向かって、こう言ったのです。
「ありがとうございます。」
一瞬、私のことがわからなかったようでした。
笑顔を浮かべながら、自然にお礼を言ってくれた母。
でも、自分の娘だと気づかなかったという事実に、胸がぎゅっと締めつけられました。
「学校は行くのが当たり前」そんな時代を生きた親世代
母も父も、学校教育を何よりも大事にする世代です。
だからこそ、孫が不登校であることをなかなか受け止めきれない様子でした。
「学校行けるようになるといいね。」
そんな言葉をかけられるたびに、私の心にはもやもやした気持ちが湧き上がります。
もちろん、悪気がないのはわかっています。
でも、昭和の「学校がすべて」という価値観は、今の時代には当てはまらない部分もありますよね。
私は、子どもが自分のペースで回復していけるように、焦らず見守っていきたい。
そう思っているからこそ、言葉の温度差に少し寂しさを感じてしまいました。
それでも、「来てくれてよかった」と思えた
母の変化を受け止めるのには少し時間がかかりそうです。
でも、両親に会えたこと、子どもと4人で過ごせた時間は、やっぱりかけがえのないものでした。
お寿司を食べながら、昔の話に笑い合う場面もあって、心が少しほぐれていくのを感じました。
「また会えるうちに、できるだけ会いに行こう。」
「親孝行も、できるうちにしておこう。」
そう思わせてくれた、小さな再会の時間でした。