夫と6年前から続いている浮気相手A子。
再構築を選んだ私をあざ笑うかのように、夫はその関係を終わらせるどころか、さらに複数の女性と関係を持ち続けていました。
しかも、ただの浮気ではありません。風俗の利用、いかがわしい副業、裏垢での女性漁り……その実態は、もう「家庭を持つ人間」とは到底思えないものでした。
一度目の浮気では、私は「自分を責める」しかできなかった
7年前、最初に浮気が発覚したとき。
私は怒りや悲しみを通り越して、「自分のせいかもしれない」と、ひたすら自分を責めていました。
「もっと早く気づいていれば…」「私に魅力がなかったのかもしれない」そんな風に思ってしまうほど、心が弱っていたのです。
夫は、浮気をしたことを本気で謝ってくれたわけでもなく、真実を話すこともなく、どこか他人事のように「ごめん」と一言。
その言葉は、まるで人ごとのようで、私はそこで夫への信頼をすべて失いました。
それでも、小さな希望を捨てられずにいました。
「もう二度としないでくれるかもしれない」
「子どもがいるんだから、さすがに踏みとどまるだろう」
と。
そんな私の願いは、簡単に裏切られました。
今回はもう、許す余地も、話し合う価値もない
6年前の浮気相手との関係が継続していたことを知ったとき、私の中で何かが静かに崩れました。
でも、それだけでは終わりませんでした。
LINEの履歴、裏アカウントでのやり取り、デリヘルの利用、明らかに違法性が疑われる副業——。
「どうして、ここまで堕ちることができるの?」
私にはもう、夫を人として信じる余地も、再建しようという気持ちも、一切残っていませんでした。
決定的だったのは「子どもが傷ついた」こと
ここまで私が我慢してきたのは、子どものためでした。
家庭を壊したくない、子どもに寂しい思いをさせたくない、そう思って耐えてきました。
でも、ある日を境にそのバランスが崩れました。
子どもが、夫の裏切りを知ってしまったのです。
その日から、子どもは頭痛・吐き気・めまいを訴え、夜は眠れなくなりました。
「怖い夢を見た」
「学校に行きたくない」
そう言って涙を流す姿に、私の胸は張り裂けそうでした。
小児科から大学病院の児童精神科に紹介され、診断されたのは「適応障害」。
その現実を前に、私はもう迷うことができなくなりました。
「死にたい」と思った私を救ってくれたのは、子どもの存在だった
7年前の浮気のときは、私は何度も「死にたい」と思いました。
未来が見えなくて、心が真っ暗で、ただ眠るように消えてしまいたい。
そんな毎日でした。
でも、その時も今も——私を救ってくれたのは、子どもです。
「この子がいるから死ねない」「守らなきゃいけない」
その気持ちだけが、私を生きながらえさせました。
家を出る決断。準備と嘘と、本当の「逃げ」
決断には時間がかかりました。
どこに逃げればいいのか、生活はどうするのか、誰に相談すればいいのか——。
とにかく情報を集め、行政にも、弁護士にも、支援団体にも相談しました。
夫には「実家に用がある」「しばらく帰省したい」と伝え、了承を得た形で家を出ました。
本当は、もう二度と戻るつもりはありません。
だからこれは、ある意味「嘘」です。
でも、私たち母子が生き延びるための、大切な嘘でもあります。
生活はまだ不安定。でも、心だけは穏やかに
現在、私たちは以前の住まいから約1,000kmも離れた場所に住んでいます。
飛行機を乗り継がないと辿りつけない距離。
それでも、夫からの暴言や不特定多数の女性との関係からの性病の恐れ、そんな夫と距離を置けたことで、心だけはずいぶん穏やかになりました。
生活はまだ安定していません。
支援制度や手続き、住まいや仕事のこと……たくさんの問題が山積みです。
でも、子どもが少しずつ笑うようになり、私も夜に眠れるようになりました。
この経験を、誰かの力に変えたい
私たちと同じように、夫の裏切りに苦しんでいる人、子どもの心を守りたいと思っている人、どうしていいかわからずに迷っている人。
そんな方がこのブログを読んで、「一人じゃない」と思ってもらえたら、それだけで書く意味があります。
私は今も、すべてがうまくいっているわけではありません。
でも、「あの家から出られた」「子どもと一緒に、新しい人生を始めた」
そう言えるようになった自分を、少しだけ誇りに思っています。
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